執着することは毒にも薬にもなる。そう思いました。
色々な人を見ていると、歪んでいる人はどちらかに振り切れていることが多いようです。
執着があり過ぎても余裕がなくなるし、執着がなさすぎでも無気力になる。
どっちかに転ぶなら執着が無い方がいいだろうなと感じます。
人は自分の目の前のことが思い通りにならないことに腹が立ちます。
執着が過度な人は、物や人すら、自分のモノと思い始めます。あるいは自分の思い通りになるものと思い始めます。
よく怒鳴ってるオッサンとか正にその典型なわけです。
部下は自分のモノじゃないんだよなあ〜
よく長続きしないカップルを見ても、見る度に思うのですが、どちらかが相手を自分のモノのように扱っているものです。
DVなんか良い例だと思います。
自分の思い通りにならないことに憤りを感じていることがほとんど。
大概、片方のエゴが強いことが多い。
エゴが強くて折り合わない人とは距離を置くことが最も最善の回避法だと思います。
親なんかもそうゆう例は多いですね。自分の子を自分なモノと思っている。
だから、自分が思い描くより良い将来を強制させる。大学行かせるとか習い事させるとか、人と一緒のことさせるとか。前に倣えって。
大体、自分のコンプレックスを子に押し付けているパターンが多いそうですね。大学行くように強制する親は自分が過去に大学まで出てないとか。
異性にしたって、子供にしたって、その人にはその人の人生があるのだから、その人の自由にさせてあげたら良いと思うわけです。
人にされて嬉しいことをする。人にされて嫌なことはしない。
それだけで十分の様に思います。
まあ子供育てたことないから分からんけど。
なんにせよ過度な執着は危険ですね。余裕がなくなりますから。
結果に執着するのは良いことだと思いますが、徳を忘れた結果には意味がないですね。
どれもこれもバランスが大切です。
物事の真ん中を意識することを釈迦は『中庸』と言いました。
陰陽図の間の白と黒が交わる場所、丸の場所。
そこに居たら物事をバランス良く見れると言う視点。
物事には良いとか悪いとか時代によって変わるわけで、それぞれがちょうど良い所で修行しているだけなんだと。そうゆう話。
経営をしている人は禅とか学んでみると妙に納得行くことがあって面白いのでオススメですよ。
ちなみに禅の世界観では自分という存在は身体と魂は別々らしく、身体は借りてるものらしいです。
つまり、自分の身体ですら自分のものではないとのこと。
カップルにせよ子供にせよ、ペットはもちろん、自分の身体でさえも自分のモノじゃないってこと。
死ぬ時には地位も権力も富も、自分の身体もあの世には持っていけませんから、詰まるとこ自分のモノなんてものはこの世に最初から存在しないのかもしれません。全ては借り物だった。と言う世界観。
上手くいくカップルの特徴や、円満な家庭の特徴は相手を尊重すること、労ること、愛すること。
自分の身体も大切に扱って労らないと長続きしないよって話にも繋がってきますね。
身体の不調はどこかが歪んでいるから。察知したら早めに行動しましょうね。
では。